「君の名は。」に恋してる

久しぶりのブログになりましたー

前々回に引き続き、「君の名は。」についての自己解釈をば(ネタバレ含みますので例によってまだ観てない方は回れ右!!)

いやー、しかしすごいことになってますね...(小並感)

普段はTwitterに生息しておりまして、公開直後は「興行成績ヤベエ...あの有名人もこの芸能人も観てる...(ツイートに♡を飛ばす)」という作業を繰り返していたのですがその内しなくなりました...キリがないくらいみんな観てる...!!

そんな動きに触発されて、考察したことがひとつふたつありましたので書いていきたいと思います

まずは、作品中の「都会」と「田舎」の対比についてです

鑑賞後も思い出すくらい印象に残ったシーンはいくつかあるのですが、その中のひとつに以下のものがあります

f:id:meilymeily:20160909202701j:plain

遥か昔、彗星が落ちた後にできたクレータ―(?)ですね。

これが目に入った瞬間、初めて観る地形なのは確かなのに、身に覚えのある感情が全身を駆け抜けていきました。一言で言うならば、畏怖です。一種の恐怖に加えて、どこか神聖なものに触れたときの、身が引き締まる感じがスパイスされているような...

どうしてそんなことを思ったのか、最近まで理由がわからなかったのですが、思い当たる節がありました。この感じは、地元の夜の山を見たときの感情を彷彿とさせる...

前々回のブログでも触れましたが、私は100人に聞いたら全員が「田舎」と答える県の出身です。むしろ認知されてないかも...そんな日本国民の太鼓判をもらえる田舎県、その田舎を極めた地域の夜とは...

想像できます?マジで街灯がいっこもありません。まっっっくらです。松崎し〇るさんよりも闇です(今すぐ謝れ)

そのため星は都会の30倍綺麗に見えます。自然光が空を埋め尽くす光景はまさに絶景(そんなシーンありましたね↓)

 

f:id:meilymeily:20160909232213j:plain

 

が、それは晴れていたらの話で。雲が夜空を覆いつくしたが最後、周囲は瞬時に闇の中の闇に包まれます。むっちゃ怖いです

なぜかというと、目の前の山が黒い。

田舎なので山に囲まれてるわけですが、黒々した、どこまでも続くバカでかい存在が目の前に鎮座してるわけです。暗いから距離感も分からない。動いているはずはないのに、自分に迫ってくるような感覚さえ......ここでタイミング悪く神隠しの民話を思い出した私は逃げ出したくなりました。姿かたちは見えないのに、人外の存在を信じるに値する何かが、そこにはありました。

このとき確かに、「畏怖」という感情を身をもって実感しました。ただ怖いだけではなく、その圧倒的な存在感の前に尊敬の念も入り混じる感覚...誰に教えられるでもなく、「この存在に対して度を超えたことをしてはいけない」と身体が感じていました。人外のものに対する怖さって、征服できない「自然」に対する「畏怖」なのかなとも思います。都会では都市伝説になりうる神隠しの類も、地方では真実味を帯びる理由だと考えています。

 

「人外のものに対する怖さ」が地方特有のものだとすれば、都会ではそれは「人に対する怖さ」になるのかなと思います。犯罪発生率の高さや詐欺等の横行などが該当します。

勘違いしないで頂きたいのは、都会の人=怖い、ということではないです。住民の母体数が大きく違うために、上記のような状況が起きてしまうことは避けられません。このあたりのことは映画では描かれていませんし、世界的に見れば日本は安全な国ですが...

 

作品の展開としては東京と糸守町を行き来しますが、私には糸守町の「人外のものの存在を彷彿とさせる自然、それに対する日本人の畏怖の感情」が非常に印象に残りました。

 

前置きがめちゃくちゃ長くなりました...映画の中の糸守町こそ想像の町ですが、ああいう町や村は日本中に点在しているのだと思います。つまり、湖や山、海を中心として人々が暮らし、由緒ある伝統を守り続けている地域。

映画にも出てきた口嚙み酒のような、供物をお供えする儀式は、悪天候による不作を神さまの怒りと捉え鎮めるためであったり、豊作の年には感謝と尊敬の念を表すために始まった風習だと聞いたことがあります。もちろん理由は他にもたくさんあるのでしょうが、それらのほとんどは「人外の存在たる神を信じ、崇め奉るため」のものだと思います。

天気予報が可能になり科学技術の発展も目覚ましい現代においては、ある意味時代錯誤な風習と言うこともできましょう。それでも人々は継承し続ける...

高層ビルが建ち並び文化・経済で世界を牽引する都市部と、上記のような光景が決して珍しくない地方がひとつの国の中で共存していることは、それだけでこの国を特異なものにしているのだと感じました。

でも、日本各地を転々としない限りこのことは実感できません。皮肉ではありますが、ひとつのところに住居を構える日本国民よりも、旅行者として訪れる外国の方の方が気づきやすいことかもしれません。普通に暮らしていたのでは自覚するのにお金も時間もかかることを、リアリティをもってアニメーション映画の中に表現した作品である、という見方が増えました。

そして「人外のもの」という捉え方もできる彗星を、権力によらず、知識によらず、不確かで目に見えない「互いへの気持ち」だけで「人」が止める結末...

と、ここも考えたいですが長くなりそうなので割愛(今更)

 

最後に。観る前からずっと気になっていたことを。

 

f:id:meilymeily:20160909231054j:plain

こちらの「この夏、日本中が恋をする」というフレーズです。宣伝用の映像なので少々大げさ表現を使ってるなと観る前は思ってました。日本中て。て。

恋愛映画なのかな?ウーン正直好みじゃないけどラッドが劇伴歌やってるし行くか...みたいな。

 

f:id:meilymeily:20160909225254j:plain

 

...鑑賞後「監督スミマセンでしたアアアァァ」

 

恋愛映画と感じたシーンは多くありませんでした。瀧が三葉の手のひらに「すきだ」って書くシーンくらい?

でもあのシーンを観て覚えた感情は、恋愛モノの作品によくある「胸がキュンとしてどこか甘酸っぱい」ものではありませんでした。というかそれどころじゃなかった

やっと会えたね...ウッ手に名前書くとか瀧も良いこと提案するやん...でも早くしなきゃ早くしなきゃはや...エエェェーーーッ「すきだ」!?名前わからない上にもうすぐ彗星が...あぁぁぁ(動悸にかき消される)

...ロマンスの欠片もない心境をさらけ出してすみません()だけど、あのシーンは、そして映画全体を通して、恋愛がメインテーマではなかった気がするんだな...

やっぱりあのフレーズはただの宣伝文句?

と、ここで話は冒頭に戻ります。

今回のこの人気について、感じていたことがあります。著名人の方々も周囲の友人たちも皆、「観てきた、よかった、泣いた!」で終わらず「もう一回観る!観てきた!」と、このような発言をする人の多いこと。

...このリピート率はなんだ。どこの夢の国ですか??

発言を詳しく見てみると、「伏線とその回収について密に検討したい」「もう一度あの映像美に触れたい」「三葉・瀧に会いたい」...などなど。理由は様々ですが、皆さん映画のことで心をいっぱいにしている模様...

かくいう私自身も。もう「一回」どころの騒ぎじゃないです。財布が許す限り何回でも観たい。他にやらなきゃいけないこといっぱいあるけど何とか時間作って観たい、それが無理ならBlu-ray買って自宅鑑賞したい...

ん、待てよ...これって、

 

もしかして:恋

 

「この夏、日本中が恋をする」このフレーズは1ミクロンの誇張も含まない宣伝文句でした。宣伝文句というのもおこがましい。まごうことなき事実。

この場合の恋とは、いわゆる「恋愛」ではなくて、お金や時間がかかっても構わないから誰かに

 

「会いたい」

 

そんな感情を指しているのかなと感じました。だとすれば、ダイレクトに恋愛を示唆する描写がなかったとしても、三葉と瀧、2人が抱いた感情は間違いなく「恋」ですよね。

そして私も。日本中が。

 

君の名は。」に恋してるなぁー......

 

...ここまで書いといて全部二番煎じな気もしてきたけど気にしません!!

読んでくださってありがとうございました^^

RADWIMPSに首ったけ

「君のは。」鑑賞後の勢いそのままに書きたくなったので書きます。

ミュージックステーション出演に始まり劇伴歌を担当した映画「君の名は。」の大ヒットと、現在最もホットなバンドと言っても良さそうなRADWIMPS、通称RAD

そんなRADのいちファンの視点から、RADWIMPSの音楽について、その歌詞と言葉から掘り下げてみたいと思います。一言でいうとRADを猛プッシュする文章です。みんなRAD聴いてー!色々共有したいよー!

前置きはさておき、「RADWIMPSって何?」という方への説明のため、それと文章展開のため動画を載せますね


RADWIMPS 前前前世 (movie ver.) MV

最新曲のひとつ「前前前世」。MVだけ見ると3ピースバンドかなと思われるかもしれませんが、ドラムの山口智史くんが休養中のためです。ボーカル野田洋次郎、ギター桑原彰、ベース武田祐介、そしてドラム山口智史(ここまで敬称略)の4人編成です

 

続いて公式動画の中で(恐らく)再生回数1位の「おしゃかしゃま」

youtu.be

 

はぁー、いつ聴いてもかっこいい。

...という個人的な感想はさておき、観て(聴いて)頂ければわかると思いますが、言葉数が非常に多いと思いませんか?特におしゃかしゃまは冒頭から飛ばしまくり。今はどうかわかりませんが、「カラオケの難しさランキング」で2位にランクインしたこともあるとか...

RADをRADたらしめる要素のひとつとしてこの「歌詞の言葉数の多さ」が挙げられますが、今回はこの点について書いていきたいと思います。私がRADWIMPSを聴くようになった理由のひとつでもあるからです

少しだけ自分の話をしますと、RADを聴く前はどちらかというと洋楽に傾倒していた人間でして、R&Bやヒップホップを聴いていました。邦楽も聴いてたけど何買ってたか忘れた..音楽を本格的に聴き始めた時期にRADに出会ったんだと思います

一通りアルバムを聴いた後の感想は「日本語の歌詞だけどなんとなく洋楽っぽいものが多い。今までの邦楽のイメージと違う」というものでした。

どうしてそう思ったのか気になっていたのですが、しばらく聴いている内に仮説が立ちました。前述の言葉数の多さ、曲のテンポ、そして野田さんの歌い方

この3点について、主観的ではありますが私の感想から、「歌モノに使われる日本語について英語との違い」という観点から考えてみたいと思います。

2つの違いについて、まず単語あたりの音節の数が挙げられると思います。

日本語は基本的に一文字一音節です。単語に使われる文字の数だけ音節があります。対して英語は、日本語に比して単語当たりの音節数が少ない傾向にあります。具体的に比較してみますと、例えば「speed(スピード)」という単語に関して

英語:spid(1音節?)発音記号出せなかった...

日本語:ス/ピ/ー/ド(4音節)

こんな感じです。例外があるかもしれませんが単語単位でみると、日本語の方が多くの音を使う傾向にあるということですね。

このことは歌モノの歌詞を作る際に大きく関わってきます。仮に一音に対して一音節乗せられるとすると、同じフレーズ(=音の数)に充てられる言葉の数は、単語当たりの音節の数が少ない英語の方が多いということになります。その分だけ情報量が増え、伝えられることも増える。

更に「I am」→「I'm」というように、意味を変えないまま単語を縮める(=音節の数を少なくする)文法も存在します。また、同化というらしいのですが「want you」を「ウォンチュー」と発音するように、隣接する音同士を一つの音として発音することも多々あります。

こうした特性もあって、英語の歌モノは、その気になればフレーズの中にありったけの単語を詰め込むことができる上、音の連続性を生かせば早口になっても途切れることなく歌い上げることができます。速いテンポでも比較的抑揚をつけやすく、歌いやすい言語です。

対して日本語ではどうかというと...英語に比してフレーズあたりの単語が少なくなるため言葉数を増やすことに限界があり、英語ほど同化できないので流れるように歌うのが難しい。メッセージ性を高めるためにと単語を詰め込むことはできますが、そうすると抑揚をつけづらくなるので歌として単調になってしまう。実験してみて頂きたいのですが、「寿限無寿限無解砂利水魚の...」を早口で言ってみると、どうしても一本調子になってしまいませんか?

もちろん英語でも単語の多い歌詞を早口で歌おうとすると同じように波のない歌になってしまいますが、日本語ではその傾向がより顕著になる気がするのです。だからこそ、比較的スローなテンポで一音一音噛みしめるように歌うことで感情を込め、リスナーの心に訴えかける歌が多いように感じます。

前置きが長くなりましたが、RADWIMPSはその枠にはまりません。「おしゃかしゃま」を聴いてもらえばわかるように、速いテンポの中にこれでもかと単語を詰め込みダーーーーッと畳み掛けるように歌う曲が多々あります。速い上に言葉数が多いから聴き取りづらいかと思いきや、さほど気になりません。その理由として、韻の多用が挙げられます

「おしゃかしゃま」1番のサビの直前をみると

 

「偶然の一か運命の合 はたまた自分勝手スケッチ 

っちっちっちってどっち いたいどうなてるんダヴィ

 

という歌詞がありまして...ここRAD全曲の中でも大っ好きな歌詞なんですが、「っち」の韻をこれでもかと繰り返してるんですよね。かつ、限りなく同化するように声を発する野田さんの歌い方も相まって、耳に馴染みやすい

加えて、曲の冒頭で画一的な「神」という存在に疑問を投げかけた上で、数多くの宗教画を残したレオナルド・ダ・ヴィンチに「どうなってるんだ」と皮肉っている

ある意味、歌モノとしての日本語の弱点を克服したような歌詞に留まるのみならず皮肉の要素まで盛り込んでいる...あまりのことに脳が融けそうです()

長くなりましたが私の言いたいことは以上です。

最初に述べるべきでしたが私は高校卒業以降、大学では日本語も英語も科目として学んでいませんし音楽、こと声楽に関しては勉強したことすらありません。ピアノは習っていましたがブルグミュラーで挫折しました。なので今まで書いたことは間違っている箇所がないとは言い切れない、むしろ多いかもしれない...私の経験則と思考から書いたものです。学のある心優しい方、何かありましたらご指摘願います...

 

RADは一時、メンバー揃っての楽曲制作から離れていた時期があったのですが、その間も野田さんはスタジオにこもって音楽的な実験を繰り返していたと言います。

曰く、一音ずつ上げたり下げたり...「博士の気分だった」と。(雑誌インタビューより。ニュアンスです。実家に置いてきてしまったため詳細わからず...無念ッ)

私の考える「RADを聴いてほしい理由」と、そして、RADWIMPS全曲の作詞作曲を担う野田さんの紹介は以上です。

このRADWIMPSから生み出される音楽。

いかがですか?少しでもワクワクしてきませんか?

 

ごく最近RADWIMPSを聴き始めたあなたがそう思ってくださったなら、あとは敢えて何も言いません。このブログを読むより有意義なことがあります。今すぐYou〇ube,もしくはAm〇zon,お近くのCDショップへダッシュ!!

 

未だ食指が動かない方、もしくは、「何だよ結局野田信者かよ!つまんねぇ」と内心思った方...弁解させてください楽器隊も同じくらい好きです!(でもきっと野田さんの愛には負ける)

桑原さんのギター、武田さんのベース、智史くん(現在休養中ですが森瑞希さんを始めサポートの方)のドラムの魅力を語りつくしたいところなのですが、悲しいかな、

「かっこいい」しか出てこない。

楽器をきちんとやってこなかったことをこれほど悔いることもありません...

「このコードがすげぇんだよ!」とか「こんなの弾けねぇよ!」とか熱く語りたいのですが、頑張っても「ここのギターかっこいい!」「さすが武田さん!ベースの音に惚れる!」「智史くん...すごい!(どこがどうすごいのかは説明できない)」としか言えない人間です

でも気持ちはあるの!!文字で説明できないだけで...グギギ

実際に曲を流しながら「ここが!」「この音が!」と説明したいくらいです

しかしなかなか難しい...とは言えこのままなのも悔しいので、いつか文章にしたいです

 

まず何からやろう...そういえばリフってなに?教えて賢い人!

16.08.27 映画「君の名は。」鑑賞後のあれこれ

公開2日目に行ってまいりました
考察というより感想に近いです
とはいえネタバレ含みますので映画がこれからという方は回れ右を推奨します







では。

まず初っ端からやられました。
映画館で観たアニメーション映画は、記憶にある限りではこれが3本目。
「あの花~」の後に「おおかみこども~」を観て以来です。
随分前の話とはいえ日本のアニメーション映画がどういうものかは知っていたはずなのに、
心のどこかで「実写>アニメ」というレッテルを貼ってました。
とんでもない話でした。アニメーションに関わる全ての皆さまごめんなさい

首都・東京のビル群、緑に覆われる日本の集落、空を裂くように落ちゆく彗星
圧倒的なリアリティを持って迫ってきました。
実在する風景は限りなく現実に近く再現されている一方、その中に、
想像の産物である登場人物たちが自然に溶け込んでいる。
現実と非現実の交錯。まるでマジックを観ているようでした。

物語全体を通して、過去と未来、田舎と都会、対照的な要素が次々と展開されます。
そのどれもが現代日本を象徴しているようで、心くすぐられるものがありました。

主人公の1人、三葉が暮らすのは飛騨地方と推測される地域です。
2時間に1本しか来ない電車、カフェもない片田舎。
その中で執り行われる伝統的な神事。
一方、2人目の主人公・瀧の住まいは日本の中心、東京。
そこでは開発が進み、高層ビルが競うように建ち並ぶ。
近代建築の校舎に通う高校生たちは屋上で昼食。
まるで正反対の風景は、どちらもこの日本に共存しています。
地方で生まれ育ち現在は都会で過ごす身としては、一時も目が離せませんでした。

この映画では、そんな三葉と瀧の「入れ替わり」が大きな鍵を握っています。
彗星が落ちて町を破壊するという悲劇を、入れ替わりを利用して2人が阻止する展開です。
この点について、一緒に鑑賞したとぅじさん(@p_sa1oooo4)と話したことがあります。
「なぜ、三葉と瀧だったのか?」

三葉については、彼女の家系の者が代々入れ替わりを体験していたこと、
彼女の育った町もまた、遠い昔に隕石の落下によってできたとされていることが明かされます。
三葉はこの点で、ある意味「選ばれた」のであろうと推測できます。
では瀧は?なぜ、三葉の相手が瀧だったのか?

ここからは個人的な考えになりますが...
物語の中盤、古くから伝わる慣習を執り行い同級生から揶揄された三葉。
たまらず東京への憧れを叫ぶ場面があります。
思わず膝を叩きそうになりました。「あぁ、三葉の気持ち、わかる...!!」

かつて、三葉のように地方で暮らしていた私も同じでした。
ここはいやだ。不便。何もかもが古い。都会へ行きたい。
田舎に暮らす少女にとっての「都会」とは、大阪でも福岡でもなく、東京なのです。
日本の首都。人、物流、経済、すべてが集結する唯一の場所。
そして日本全国どこからでも行きやすい・来やすい。
こんな場所は日本広しと言えど、東京だけだということは、地方民にも分かります。

大阪や福岡にお住いの方々、気分を害したらスミマセン。
そして「いや違う、大阪(福岡、その他都市)こそ都会の代表だ!」という異議も認めます。

しかし個人的には、三葉のこの「東京へ行きたい」という思いが「入れ替わり」の発端だったのではないかと思っています。

そしてその相手が、「東京」に暮らす者であったことに疑問の余地はありません。
強い思いは時間を、場所を超越する。
三葉と同じような経緯(入れ替わりは未体験ですが苦笑)をたどった身としては、
この作品のテーマの一つであるように思えてならないのです。

....「東京住み」の人間なんて瀧以外にごまんといるじゃねぇかという声が聞こえてきそうですね。私もそう思います(殴

これは...もう一回見ないとな...

 

もうひとつ、三葉と瀧であった理由について、

2人の名前という観点から展開したとぅじさんの考察(http://tl.gd/n_1sp204q)

がとても好きなのでぜひご覧くださいませ。

 

最後に、私がこの作品を観に行った最大の理由、

RADWIMPSの劇伴歌について 

期待しかしてませんでしたが、その期待を上回ってきました。

とはいえ、予想以上に音楽より本編のストーリーに惹きこまれていたので、

改めてアルバムを聴きながらこれを書いているのですが

RADの音が全開です。でも、一貫して映画を立てていた。

初回盤についていたDVDの中で、ボーカルの野田さんは

「バンドが劇中歌を作るというシチュエーションだからこそ、作曲家の方々にとっても、バンドにとっても新しい音楽を作りたい」

旨のことを話していました(ニュアンスです)

その通りの曲ばかりが詰まったアルバムです。

これは映画っぽいなと思うもの、バンドサウンドに近いなと思うもの

聴く者を飽きさせません。もう3回ループしてます。

この作品のほかにも映画のサントラを買った経験はあるのですが、

そのどれにもない、新鮮な気持ちで聴いています。

 

鑑賞中、RADファンとして何度もニヤッとしてしまいました(笑)

ああ、これはRADWIMPSの音だ。

LIVEで、CDで繰り返し聴いてきた、私の好きなRADの音楽

主役は映画ではありますが、RADも随所で主張してきていました

この文章に共感した方と語り合いたいです笑

 

ここまで読んでくださってありがとうございました!

LIVEに行きたくなってきた笑