「君の名は。」に恋してる

久しぶりのブログになりましたー

前々回に引き続き、「君の名は。」についての自己解釈をば(ネタバレ含みますので例によってまだ観てない方は回れ右!!)

いやー、しかしすごいことになってますね...(小並感)

普段はTwitterに生息しておりまして、公開直後は「興行成績ヤベエ...あの有名人もこの芸能人も観てる...(ツイートに♡を飛ばす)」という作業を繰り返していたのですがその内しなくなりました...キリがないくらいみんな観てる...!!

そんな動きに触発されて、考察したことがひとつふたつありましたので書いていきたいと思います

まずは、作品中の「都会」と「田舎」の対比についてです

鑑賞後も思い出すくらい印象に残ったシーンはいくつかあるのですが、その中のひとつに以下のものがあります

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遥か昔、彗星が落ちた後にできたクレータ―(?)ですね。

これが目に入った瞬間、初めて観る地形なのは確かなのに、身に覚えのある感情が全身を駆け抜けていきました。一言で言うならば、畏怖です。一種の恐怖に加えて、どこか神聖なものに触れたときの、身が引き締まる感じがスパイスされているような...

どうしてそんなことを思ったのか、最近まで理由がわからなかったのですが、思い当たる節がありました。この感じは、地元の夜の山を見たときの感情を彷彿とさせる...

前々回のブログでも触れましたが、私は100人に聞いたら全員が「田舎」と答える県の出身です。むしろ認知されてないかも...そんな日本国民の太鼓判をもらえる田舎県、その田舎を極めた地域の夜とは...

想像できます?マジで街灯がいっこもありません。まっっっくらです。松崎し〇るさんよりも闇です(今すぐ謝れ)

そのため星は都会の30倍綺麗に見えます。自然光が空を埋め尽くす光景はまさに絶景(そんなシーンありましたね↓)

 

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が、それは晴れていたらの話で。雲が夜空を覆いつくしたが最後、周囲は瞬時に闇の中の闇に包まれます。むっちゃ怖いです

なぜかというと、目の前の山が黒い。

田舎なので山に囲まれてるわけですが、黒々した、どこまでも続くバカでかい存在が目の前に鎮座してるわけです。暗いから距離感も分からない。動いているはずはないのに、自分に迫ってくるような感覚さえ......ここでタイミング悪く神隠しの民話を思い出した私は逃げ出したくなりました。姿かたちは見えないのに、人外の存在を信じるに値する何かが、そこにはありました。

このとき確かに、「畏怖」という感情を身をもって実感しました。ただ怖いだけではなく、その圧倒的な存在感の前に尊敬の念も入り混じる感覚...誰に教えられるでもなく、「この存在に対して度を超えたことをしてはいけない」と身体が感じていました。人外のものに対する怖さって、征服できない「自然」に対する「畏怖」なのかなとも思います。都会では都市伝説になりうる神隠しの類も、地方では真実味を帯びる理由だと考えています。

 

「人外のものに対する怖さ」が地方特有のものだとすれば、都会ではそれは「人に対する怖さ」になるのかなと思います。犯罪発生率の高さや詐欺等の横行などが該当します。

勘違いしないで頂きたいのは、都会の人=怖い、ということではないです。住民の母体数が大きく違うために、上記のような状況が起きてしまうことは避けられません。このあたりのことは映画では描かれていませんし、世界的に見れば日本は安全な国ですが...

 

作品の展開としては東京と糸守町を行き来しますが、私には糸守町の「人外のものの存在を彷彿とさせる自然、それに対する日本人の畏怖の感情」が非常に印象に残りました。

 

前置きがめちゃくちゃ長くなりました...映画の中の糸守町こそ想像の町ですが、ああいう町や村は日本中に点在しているのだと思います。つまり、湖や山、海を中心として人々が暮らし、由緒ある伝統を守り続けている地域。

映画にも出てきた口嚙み酒のような、供物をお供えする儀式は、悪天候による不作を神さまの怒りと捉え鎮めるためであったり、豊作の年には感謝と尊敬の念を表すために始まった風習だと聞いたことがあります。もちろん理由は他にもたくさんあるのでしょうが、それらのほとんどは「人外の存在たる神を信じ、崇め奉るため」のものだと思います。

天気予報が可能になり科学技術の発展も目覚ましい現代においては、ある意味時代錯誤な風習と言うこともできましょう。それでも人々は継承し続ける...

高層ビルが建ち並び文化・経済で世界を牽引する都市部と、上記のような光景が決して珍しくない地方がひとつの国の中で共存していることは、それだけでこの国を特異なものにしているのだと感じました。

でも、日本各地を転々としない限りこのことは実感できません。皮肉ではありますが、ひとつのところに住居を構える日本国民よりも、旅行者として訪れる外国の方の方が気づきやすいことかもしれません。普通に暮らしていたのでは自覚するのにお金も時間もかかることを、リアリティをもってアニメーション映画の中に表現した作品である、という見方が増えました。

そして「人外のもの」という捉え方もできる彗星を、権力によらず、知識によらず、不確かで目に見えない「互いへの気持ち」だけで「人」が止める結末...

と、ここも考えたいですが長くなりそうなので割愛(今更)

 

最後に。観る前からずっと気になっていたことを。

 

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こちらの「この夏、日本中が恋をする」というフレーズです。宣伝用の映像なので少々大げさ表現を使ってるなと観る前は思ってました。日本中て。て。

恋愛映画なのかな?ウーン正直好みじゃないけどラッドが劇伴歌やってるし行くか...みたいな。

 

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...鑑賞後「監督スミマセンでしたアアアァァ」

 

恋愛映画と感じたシーンは多くありませんでした。瀧が三葉の手のひらに「すきだ」って書くシーンくらい?

でもあのシーンを観て覚えた感情は、恋愛モノの作品によくある「胸がキュンとしてどこか甘酸っぱい」ものではありませんでした。というかそれどころじゃなかった

やっと会えたね...ウッ手に名前書くとか瀧も良いこと提案するやん...でも早くしなきゃ早くしなきゃはや...エエェェーーーッ「すきだ」!?名前わからない上にもうすぐ彗星が...あぁぁぁ(動悸にかき消される)

...ロマンスの欠片もない心境をさらけ出してすみません()だけど、あのシーンは、そして映画全体を通して、恋愛がメインテーマではなかった気がするんだな...

やっぱりあのフレーズはただの宣伝文句?

と、ここで話は冒頭に戻ります。

今回のこの人気について、感じていたことがあります。著名人の方々も周囲の友人たちも皆、「観てきた、よかった、泣いた!」で終わらず「もう一回観る!観てきた!」と、このような発言をする人の多いこと。

...このリピート率はなんだ。どこの夢の国ですか??

発言を詳しく見てみると、「伏線とその回収について密に検討したい」「もう一度あの映像美に触れたい」「三葉・瀧に会いたい」...などなど。理由は様々ですが、皆さん映画のことで心をいっぱいにしている模様...

かくいう私自身も。もう「一回」どころの騒ぎじゃないです。財布が許す限り何回でも観たい。他にやらなきゃいけないこといっぱいあるけど何とか時間作って観たい、それが無理ならBlu-ray買って自宅鑑賞したい...

ん、待てよ...これって、

 

もしかして:恋

 

「この夏、日本中が恋をする」このフレーズは1ミクロンの誇張も含まない宣伝文句でした。宣伝文句というのもおこがましい。まごうことなき事実。

この場合の恋とは、いわゆる「恋愛」ではなくて、お金や時間がかかっても構わないから誰かに

 

「会いたい」

 

そんな感情を指しているのかなと感じました。だとすれば、ダイレクトに恋愛を示唆する描写がなかったとしても、三葉と瀧、2人が抱いた感情は間違いなく「恋」ですよね。

そして私も。日本中が。

 

君の名は。」に恋してるなぁー......

 

...ここまで書いといて全部二番煎じな気もしてきたけど気にしません!!

読んでくださってありがとうございました^^